今年の伊勢神宮奉納能は花冷えの嵐の中での開催となりました。内宮参集殿の舞台は屋外なので、地謡座には雨が降り込んで水溜りができている状態でした。ここの舞台は普通の舞台より一回り大きいということで、地謡が一列分前に出る形での演能となりました。
今年の演目『室君』は、シテの謡が全くないという珍しい能の一つです。その代わりと言っては何ですが、ツレ(主ヅレ)には謡も結構ありますし、舞(神楽)もあり、ツレが中心の能ともいえるのではないかと思います。
囃子方、地謡が座につくと、後見が一畳台を運んできます。続いて、宮の作り物が一畳台の上に載せられますが、作り物の中にはすでにシテの本田光洋師が入っていらっしゃり、一緒に移動されます。ちょうど私の前のあたりを通ったときに、地謡座側から脇正面側に突風が吹き、作り物を覆っていた幕が大きくたなびき、作り物自体も大きく揺れました。あっと思いましたが、そこは後見の高橋忍師が作り物をしっかりと押さえていらっしゃったので何事もなかったかのように、本田光洋師は無事に一畳台に上がり、作り物の中で床几に腰掛けられたようです。〔一畳台の位置はちょうど地謡座の真横あたりになるので、地謡前列の私の位置からはほとんど見えませんでした。〕
ワキがアイを連れて登場し、アイがツレを呼びます。そしてツレ3人が登場するのですが、その前に後見が船の作り物を常座に運んできます。〔本当にこの能は後見が大活躍です。〕 ツレ3人は、船の作り物の中の定位置(主ヅレが中央)につきますが、面を付けていて足元がほとんど見えない状態なので、楽屋で3人の方が作り物を使って練習していたことを思い出し、正しい位置につくとこちらまでほっとしました。〔しかし、後でよく考えればツレの方たちが間違うはずもないので、私などが心配するのはまさに杞憂でした。〕
ワキの言葉の後の主ヅレの本田芳樹師の謡を聞いて、親子なので当然なのでしょうが、本田光洋師と本当に声が似ているのにあらためて驚きました。伸びやかな謡は光洋師譲りなのでしょうか。想像していたより、ずっと繊細な謡い方でした。〔この間に後見は船の作り物と棹を片付けなければなりません。〕 一方、その後の神楽舞は、さらに期待を良い方に裏切るダイナミックでリズム感あふれる舞でした。
この間、突風が舞台上に吹き込むときが何度かありました。前を向いていた私の視界にも一畳台の上の作り物を覆う幕が大きく揺れるのがわかりました。にもかかわらず、作り物が傾いたり、幕が飛ばされたりということがなかったのは、中でシテの本田光洋師が支えていらっしゃったからだと思います。
最後のシテの本田光洋師の中ノ舞は、さすがと思わせる優雅な舞でした。〔ただ、私はもうこのころから足が痺れてそれどころではなくなってしまいましたので、詳しくご報告できません。〕
こうして45分あまりの小品の能は、天候とはまったく逆の穏やかな雰囲気を舞台上に残して、静かに終了しました。終了のころには、風も大分おさまり、雨も小降りとなっていました。
伊勢神宮神苑の桜はまだ満開になったばかりで、この日の嵐も花散らしの雨にはならなかったようで、帰り道では宇治橋の上からも雨に洗われた満開の桜を見ることができました。
(きんくん)