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吉野静(よしのしずか)
【分類】三番目物 (鬘物)
【作者】世阿弥
【登場人物】
登 場 人 物 | 面 | 装 束 | |
シテ(前) |
静 | 増 | 鬘、箔、唐織 |
シテ(後) |
静 | 増 | 緋大口、長絹、腰帯、静烏帽子 |
ワキ(前) | 佐藤忠信 | 厚板、大口、腰帯、梨子打烏帽子、白鉢巻 | |
ワキ(後) | 忠信 | 段熨斗目、白大口、掛素袍、腰帯 | |
間狂言 | 衆徒二人 | 縞熨斗目、狂言裃 |
【あらすじ】(舞囃子の部分は下線部です。キリの部分は斜体、クセの部分は上線部です。)
源義経が吉野の衆徒の裏切りによって吉野山を落ちたとき、防ぎ矢を仰せつかった佐藤忠信は都道者を装って大講堂での衆徒の詮議の模様を窺います。そして、衆徒の詮議の中に入って、頼朝と義経が和解したという噂や義経の武勇を語って義経追撃の矛先を鈍らせます。やがて静御前も出てきて、忠信との打ち合わせどおり、舞の装束で、法楽の舞を舞います。静は忠信と呼吸を合わせて義経の忠心を説き、頼朝との和解を匂わせます。衆徒は静の舞の面白さに時を移し、また義経の従者達の武勇に恐れをなし、ついに一人として義経の追討に赴く者はいませんでした。
【詞章】(舞囃子の部分は下線部です。キリの部分は斜体、クセの部分は上線部です。)
ワキ(次第)「定めなき世のなかなかに。定めなき世になかなかに。うき事やたのみなるらん。げにやたとえでも憂きは変らぬ習いとて。そのいにしえは浄見原の。天子の御身なりけしかども。大友の皇子に襲われて。吉野の宮をいで給い。山野に迷い給うとかや。痛わしや判官も。世のざn言の晴れやらで。雲も奥ある吉野山隠れ家ながらおきかねる。御身のほどこそ悲しけれ。さるにてもわが君は。いづくの国いかなる所にかおわすらんと。おぼつかなくも.そなたの空を。三吉野の霞のうちの.花の滝。霞のうちの花の滝。落ちゆくかたは白雲の。誰に吉野の奥やらんわが身のためは.恨めしや。隔てじものを君とわが。心ひとつの二道を。暫しはたどる迷いかな暫しはたどるまよいかなや。これに渡り候は静御前にて御入り候か。
シテ「さて忠信は何とてこの山はとどまり給うぞ。
ワキ「さん候わが君この山を御ぴらき候に。防き矢射よとの御諚。弓取っての面目と存じ。一人この山に留まりて候。さて静は何となり給うべき。返す返す御痛わしうこそ候え。
シテ「さればこそもろこしの。吉野の山にこもるとも。おくれじとこそ思いしに。女の身とてはかなくも。捨ての残さるるみよしのの。山野に迷い里に忍びて。今までかうて侍ろう。
ワキ「あらおびたたしの螺鐘の音や候。聞こしめされ候え。大講堂に当っておびたたしう螺鐘の音の聞こえ候。立ち越え聞いて参り候べし。いかにあれなる道行人。大講堂に当っておびたたしう螺鐘の音の候は何事にて候ぞ。何わが君を追っかけ申すべきとの集会の螺鐘と申すか。
シテ「いかに申し候。人に尋ねて候えば。わが君を追っかけ申すべきとの集会の螺鐘と申し候。
シテ「あら悲しやさてなにと候べき。
ワキ「きっと物を案じいだしたることの候。某は都道者の真似をして。集会の座敷へいで候べし。定めて都の事を尋ね候わんずる時。わが君御兄弟の御中直りあるよし申し候べし。その隙に静は舞の装束を持たせられ候いて。勝手の御前にて法楽の舞を御舞い候わば。定めて貴賎群集なすべし。さように時刻を移し。わが君を御心静に落とし申さばやと存じ候。
シテ「もしその中に忠信を見知りたらん者あらば。御身はなにとなり給うべき。
ワキ「いや忠信一人討たん事も抜群の時刻にて候べし。ただ静は勝手の御前に御参り候え。
シテ「さらば末めでとうやがて御見参に入り候べし。
ワキ「かように心はめぐれども。身はただ独り忠信が。思いめぐらす謀の。末あらわればいかにせん。
シテ「思えば涙もろこしの。よし遁れつつ君をだに。
ワキ「落とし申さば。
シテ「それまでと。
地謡「思い切りつつ忠信は。思い切りつつ忠信は。衆徒の僉議に参らんと。大講堂にいでければ。
シテ「静はそのまま。
地謡「かつての御前に参りけり。勝手の御前に参りけり。
<中入>
狂言「つうわい、つうわい。つうわい、つうわい。いや、ここな者は。何とて衆徒の座敷へ、濡れわらんずにて、出でられて候ぞ。
ワキ「これは都道者にて候。衆会の御座敷とも存ぜず候。御免あらうずるにて候。
狂言「何ぢゃ。都の者ぢゃ。それならば問うことがある。都では判官殿の噂を、何と取りざたするぞ。
ワキ「さん候都には。頼朝義経ついには御中なおりあるべしとの御事にて候。
狂言「いや、わごりょも判官殿びいきぢゃ。して判官殿は、この山をいかほどにて逃れたるか、お聞きァったか。
ワキ「十二騎とこそ承って候え。
狂言「何十二騎
狂言「いざ、追っかけきょう。
ワキ「暫く。十二騎と申すとも。余餘の勢百騎二百騎にも向うべし。かように申すは都の者。いかにも御寺も宿坊も。難なくおわしませかしと。思えばかように申すなり。この上はともかくも。
地謡「御ぱからいぞ吉野山。御ぱからいぞ吉野山。よしなき申し事。もれ聞こえなば判官の。後のとがめも恐ろしや。おいとま申し候わん。御いとま申し候わん。
狂言「こっちへおりゃれ、こっちへおりゃれ。まいる、まいる。
シテ「さても静は忠信が。その契約を違えじと。舞の装束かきつくろい忠信遅しと待ちければ。
ワキ「これは都道者にて候が。静の法楽の舞の由承り及び。下向道を忘れて候。とてもの法楽なるべくは。いま少し舞を御はやめ候え。
シテ「なにのう都の人と聞けばなつかしや。義経御道せまきこと。世上の聞いかなるぞ。都の人こそ知るべけれ。
ワキ「ついには上は御一体。きくより都は先非を悔いて。皆々恐れ申すなり。
シテ「さては嬉しやわが君を。委しく知れるか都の人。
ワキ「あまりに事のび時すぎぬ。急がせ給え舞の袖。
シテ「げにのう詞多き者は.品少なし。かように我ら理り過ぎなばなかなか人も怪しめて。もしもそれとか三吉野の。かつて知らすな。静にはやせや静が舞に。
地謡「衆徒も憤りを。忘れけり。
シテ「神もや納受し給うらん。
地謡「げにこの御代も静が舞。
シテ「然るにかの判官は神道を重んじ朝家を敬い。
地謡「すこぶる忠勤をぬきんでて私のかえりみさらになし。
シテ「人は讒し申すとも。
地謡「神は正直の頭に宿り給うなれば。
シテ「静が舞の袂に暫く移り.おわしまし。
地謡「義経を守り給えと。祈るぞあはれ.なりける。そもそも景時が。その讒言の水上を。思えば渡辺や。流るる水にみち汐の。逆艪立てんと浮舟の。梶原が申し事。よも順義には候わじ。されば義経は。すぐに治めし三吉野の。神の誓の誠あらば。頼朝も聞しめし。直され義経。咫尺の勅を受け。洛陽の西南は。これ分国となるべし、さあらば当山の。衆徒ことごとく散洛し。帰依渇仰の御袖に。恵みをいだき給うべしあなかしこ不忠なし給うな。御科は候わじ。
シテ「ただし衆徒中に。
地謡「なお憤り深うして。進みて追っかけ給うとも。その名きこゆる人々を。討ちとどめ申さんは。片岡増尾鷲の尾さて。忠信は双びなき。精兵ぞよ人々に。防矢射られ給うなと。語ればげには衆徒中に。進む人こそなかりけれ。しづやしづ。
<序ノ舞>
シテ「賤やしづ。しづのおだまき繰り返し。
地謡「昔を今に。なすよしもがな。大かた舞の面白さに。大かた舞の面白さに。時刻を移して進まぬもありけり。または判官の武勇に恐れてよし義経をば落とし申せと。僉議加うる衆徒もありけり。さるほどに。時移って。主君も今は忠信が。かしこき謀に難なく君をば。落とし申し。心静に願成就して。都へとてこそ。帰りけれ。