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山姥(やまんば)

【分類】五番目物 (切能)

【作者】世阿弥

【主人公】前シテ:山の女、後シテ:山姥

【あらすじ】仕舞〔クセ〕の部分は上線部、仕舞〔キリ〕の部分は下線部です。)

京都に、山姥の山巡りの曲舞を得意としたので、百万山姥と仇名されていた遊女がありました。彼女は、善光寺参詣を思い立ち、従者をつれて旅に出ます。途中、越中国(富山県)・越後国(新潟県)の国境の境川まで来ます。従者は里の男を呼び出し、善光寺への道を尋ねると、男は三つの道があるが、そのうち最も険難ではあるが、阿弥陀如来が通られたという上路越をすすめ、自分が道案内をしようと言います。遊女も乗り物を捨て、徒歩で後について行きます。しばらく進むと、にわかにあたりが暗くなり、一行は当惑します。すると、一人の女が現れ、宿を貸そうといい、自分の庵へと案内します。そしてその女は、山姥の歌を聞かせてほしいと頼みます。遊女の事や山姥の曲舞の事をよく知っているので、一行の者が不思議に思って、名を尋ねると、自分こそ山姥であると明かし、夜更けてから歌ってくれたら、もう一度姿を現して、歌に合わせて舞おうと告げて消え失せます。

<中入>

里の男は、従者に問われるまま、山姥の素性について、いろいろ物語ります。やがて夜も更けたので、遊女が笛を吹いて待ち受けると、山姥が怪異な姿で現われます。山姥に促されて、遊女は恐れながら謡い始めると山姥もそれに合わせて舞います。そして深山の光景、山姥の境涯を物語り、さらに春秋冬に、花月雪をたずねて山巡りする様を見せた後、いずくともなく去っていきます。

【詞章】仕舞〔クセ〕の部分と仕舞〔キリ〕の部分の抜粋です。)

 〔クセ〕

そもそも山姥は。生所も知らず宿もなく。ただ雲水を便りにて.至らぬ山の奥もなし。しかれば人間にあらずとて。隔つる雲の身を変え。かりに自性を変化して。一念化生の鬼女となって。目前に来れども。邪正一如と見る時は。色即是空そのままに。仏法あれば世法あり.煩悩あれば菩提あり。仏あれば衆生あり。衆生あれば山姥もあり。柳は緑。花は紅の色色。さて人間に遊ぶこと。ある時は山賎の.樵路に通う花の蔭。休む重荷に.肩をかし月もろともに山を出で。里まで送るおりもあり。またある時は織姫の。五百機たつる.窓に入って。枝の鴬糸繰り。紡績の宿に身を置き.人を助くる業をのみ。賎の目に見えぬ.鬼とや人の見るらん。世を空蝉のから衣。払わぬ袖におく霜は.夜寒の月に埋もれ。うちすさむ人の絶え間にも。千声万声の。砧に声のしで打つは.ただ山姥が業なれや。都に帰りて.夜語にせさせたまえと。思うはなおも妄執か。ただうち捨てよ何事も.よしあしびきの山姥が.山めぐりするぞ.苦しき。

 〔キリ〕  

暇申して帰る山の。春は梢に咲くかと待ちし。花を尋ねて山めぐり。秋はさやけき影を尋ねて。月見る方にと山めぐり。冬は冴えゆく時雨の雲の。雪をさそいて山めぐり。めぐりめぐりて輪廻を離れぬ妄執の雲の。塵積もって。山姥となれる。鬼女が有様見るや見るやと。峰にかけり。谷に響きて今までここに。あるよと見えしが山また山に。山めぐり。山また山に.山めぐりして.行方も知らず.なりにけり。

 

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