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昭君(しょうくん)  

【分類】四番目物 (雑能)

【作者】不詳

【主人公】前シテ:昭君の父・白桃、後シテ:呼韓邪単于の霊

【あらすじ】(仕舞の部分は下線部です。)

昔、中国の漢の皇帝は、胡国と和平のために、三千人の侍女の中から王昭君を選び、胡王の呼韓邪単于〔こかんやぜんう〕に贈りました。昭君の年老いた父の白桃〔はくとう〕と母の王母〔おうぼ〕はその事をいたく悲しんでいます。それに同情した里人が慰めに行くと、老夫婦は柳の木の下を掃き清めています。そして、この柳は、娘の昭君が胡国に行くときに「自分が彼の地で死ねばこの木も枯れましょう」と言って植えていったのだが、見れば早や片枝が枯れてきたと嘆きます。そして涙にくれつつも、昭君が胡国に連れて行かれた訳を物語り、さらに桃葉〔とうよう〕という人が死んだ仙女の姿を鏡に映る形見の桃の花に見出したという故事を思い出し、鏡には恋しく思う人の映った例もあるので、昭君の形見の柳を鏡に映せば、娘の姿が見えるかも知れぬと、鏡に向かって泣き伏します。

<中入>

やがて、昭君の幽魂が現れると、ついで単于の幽霊も父母に対面せんと現れ出ます。しかし、単于は鏡に映った鬼神のような恐ろしい自分の姿を恥じて消え失せ、昭君の花の姿ばかりが鏡に残り、物思いに沈む父母を慰めます。

【詞章】(仕舞の部分の抜粋です。)

荊棘〔おどろ〕をいただく髪筋は。荊棘をいただく髪筋は。主を離れて空にあり。元結さらにたまらねば。真葛〔さねかずら〕にて結びさげ。耳には鎖をさげたれば。鬼神と見たもう。姿も恥かし.鏡に寄り添い立っても居ても。鬼とは見れども人とは見えず。それかあらぬか我ながら。恐ろしかりける顔つきかな.面目なしとて立ち帰る。ただ昭君の眉墨は。ただ昭君の眉墨は。柳の色に異らず。罪を現わす浄玻璃や。それも隠れはよもあらじ。花かと見えて曇る日は。うわの空なるもの思い。影もほのかに三日月の。曇らぬみ代の心こそ。まことを思う.鏡なれ.まことを思う.鏡なれ。

 

 

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