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桜川さくらがわ

【分類】四番目物 (雑能)

【作者】世阿弥

【主人公】前シテ:桜子の母、シテ:桜子の母

【あらすじ】(仕舞〔クセ〕の部分は下線部、『網ノ段』の部分は斜体です。)  

九州日向国(宮崎県)、桜の馬場の西に、母ひとり子ひとりの貧しい家がありました。その家の子、桜子は、東国方の人商人にわが身を売り、その代金と手紙を母に渡してくれと頼み、国を出ます。人商人が届けた手紙から桜子の身売りを知った母は、悲しみに心を乱し、氏神の木華開耶姫に我が子の無事を祈り、桜子の行方を尋ねる旅に出ます。
<中入>
それから三年がたち、遠く常陸国(茨城県)の桜川はちょうど桜の季節です。桜子は磯辺寺に弟子入りしており、今日は師僧に誘われて、近隣の花の名所の桜川に花見にやって来ます。里人は、桜川の川面に散る花びらをすくって狂う女がいるから、この稚児に見せるとよいとすすめます。呼び出された狂女は、九州からはるばるこの東国まで、我が子を探してやって来たことを語り、失った子の名前も桜子、この川の名も桜川、何か因縁があるのだろうが、どうして春なのに我が子の桜子は咲き出でぬかと嘆きます。さらに桜を信仰する謂れや我が子の名前の由来、桜を詠じた歌などを語り、落花に誘われるように、桜子への思いを募らせて狂乱の極みとなります。僧は、これこそ稚児の母であると悟り、母子を引き合わせます。母は正気に戻って嬉し涙を流し、親子は連れ立って帰国します。

【詞章】(仕舞〔クセ〕の部分と『網ノ段』の部分の抜粋です。)

〔クセ〕

げにや年を経て。花の鏡となる水は。散りかかるをや。曇るというらん。まこと散りぬれば。のちは芥になる花と。思い知る身もさていかに。われも夢なるを.花のみと見るぞはかなき。されば梢より。あだに散りぬる花なれば。落ちても水の哀れとは.いさ白波の花にのみ。馴れしも今は先立たぬ.悔の八千度百千鳥。花に慣れ行くあだし身は。はかなきほどに羨まれて。霞を哀れみ.露を悲しめる心なり。さるにても。名にのみ聞きてはるばると。思い渡りし桜川の。波かけて常陸帯の。かごとばかりに散る花を。あだになさじと水をせき雪をたたえて浮き波の。花のしがらみかけまくも。かたじけなしやこれとても。木花耶姫の。ご神木の花なれば。風もよぎて吹け。水も影を濁すなと。袂をひたし。裳裾をしおらかして。花によるべの水.せきとめて桜川に.なそうよ。

『網ノ段』

あたら桜の。あたら桜の科は散るぞ怨みなる。花もうし風もつらし。散れば誘う.誘えば散る花かずら。かけてのみ眺めしは。名も青柳の糸桜。霞の間には。かば桜。雲と見しは。三吉野の。三吉野の。三吉野の。川淀滝つ波の。花をすくわばもし。国栖魚やかからまし。または桜魚と。聞くも懐しや。いずれも白妙の。花も桜も。雪も波も見ながらに。すくい集め持ちたれども。これは木木の花.まことはわが尋ぬる。桜子ぞ恋しき。わが桜子ぞ.恋しき。

 

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