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望月(もちづき)

【分類】四・五番目物 (現在物)

【作者】不詳

【登場人物】 

登 場 人 物 装  束

シテ(前)

小沢刑部友房 (直面) 段熨斗目、素袍上下

シテ(後)

小沢刑部友房 (直面)

赤頭、段熨斗目、厚板唐織壺織、白大口、

腰帯、白鉢巻

ツレ

安田荘司の妻 曲見 鬘、箔、唐織着流
子方 花若(安田荘司の子) 厚板、白大口、腰帯
ワキ 望月秋長 厚板、掛素袍、白大口、腰帯
間狂言 望月秋長の従者 縞熨斗目、狂言裃

【あらすじ】

信濃の国(長野県)の住人で安田の荘司友春の家臣、小沢の刑部友房は、所用があって都にいる間に、主人の友春が望月秋長と口論の末殺害されたことを聞き、直ちに帰国の途についたものの、自らの命も狙われていることを耳にしたのため、帰国もできず、近江国(滋賀県)の守山の宿で甲屋という旅館を設けて暮らしていた。また、友春の妻は、夫の討たれた後は寄るべもなかったので、一子花若の手を引いて都に上ろうと故郷を出で、守山の宿にたどりつき、甲屋に泊まることになった。こうして主従は奇しくも再会し、涙を流して喜びあった。そこに計らずも敵の望月秋長が、そうとも知らないで、都から故郷に下る途中で甲屋に宿を取ることになった。その夜、旅の徒然をなぐさめると称し、友治の妻は盲御前として謡を謡い、花若は鞨鼓を打ち、自らも獅子舞を舞いて興を添え、望月の油断するところを、敵を討って、めでたく本望をとげた。

【詞章】

シテ「これは信濃の国の住人。安田の荘司友治のみ内にありし。小沢の刑部友房と申す者にて候。さても頼み奉りて候友治は。従弟の望月と口論し。あえなく討たれ給いて候。其おりふしは在京つかまつり候ところに。この事かくと承り候間。夜を日についで本国へ罷り下り候ところに。某を路次にて狙うよし申し候ほどに。本国へもかなわず。かなたこなたと仕り。今はふしぎに近江の国守山の宿に。甲屋の主と罷りなりて候。旅人のおん通り候わば。留めてばやと存じ候。

(次第)

ツレ子方「波の浮き鳥住むほども。波の浮き鳥住むほども。下安からぬ心かな。(地取り)

ツレ「これは信濃の国の住人。安田の庄司友治と申しし人の妻や子にてさむろう。さても夫の友治は。望月の秋長に。あえなく討たれおわします。多かりし従類も。みな散り散りになり。頼む木陰も撫子の。花若ひとり隠しおかんと。敵のゆかりの恐ろしさに。思い子をいざない立ち出ずる。

ツレ子方「いずくとも.定めぬ旅を信濃路や。月を友寝の.夢ばかり。

子方「月を友寝の夢ばかり。

ツレ子方「名残を慕う古里の。浅間の煙.立ちまよう.草の枕の.夜寒なる。旅寝の床の憂き涙.守山の宿に着きにけり.守山の宿に着きにけり。

ツレ「ようよう急ぎ候ほどにこれははや。近江の国守山の宿に着きて候。この所に宿を借らばやと思い候。いかにこの内へ案内申し候。

シテ「誰にてわたり候ぞ。

ツレ「これは旅の者にて候。一夜の宿をおん貸し候え。

シテ「心得申して候。さていずくよりいず方へおん通り候ぞ。

ツレ「これは信濃の国より都へのぼり候。

シテ「あら痛わしや。女性上臈のおん身として。幼き人を伴い。はるばるのおん心づくし推量申して候。今夜はおん心安くおん泊りあろうずるにて候。こなたへおん入り候え。言語道断。ただ今の旅人をいかなる人ぞと思いて候えば。いにしえのおん主安田の荘司友治の妻や子にて候はいかに。やがて名のって力をつけ申さばやと存じ候。いかに申し候。今は何をかつつみ申すべき。これこそいにしえ信濃の国にて召し使われし。小沢の刑部友房にて候。かいなき命ながらえて。三世の主君に会い奉れば。嬉し泣きの涙の.覚えずこぼれ候。

ツレ「さてはいにしえの小沢の刑部友房か。あら懐しやとばかりにて。涙にむせぶばかりなり。今は何をかつつむべき。これは安田の荘司友治の.妻や子供の果しなり。

子方「父に会いたるここちして。花若小沢にとりつけば。

シテ「われも主君にとりつきて。別れし主君の面影の。残るも今は懐かしやと。主従手に手を.取りくみて。

地謡「今さら人の別れさえ。思い出でられて.袂のかわく.隙もなし。今までは行くえも知らぬ.旅人の。行くえも知らぬ旅人の。三世の契りの主従と。頼む情もこれなれや.げに奇縁あるわれらかな.げに奇縁ある.われらかな。

ワキ「帰る嬉しき古里を。帰る嬉しき古里を。誰憂き旅と.思うらん。(地取り)

ワキ「これは信濃の国の住人。望月の秋長にて候。さても安田の庄司友治と口論し。念のう友治を討って候。この事上に聞こしめされ。聊尓の者とやおぼしめしけん。某が本領ことごとく召し離されて候を。この度在京つまかつり。よき縁をもって申しひらき候えば。本領ことごとく返し申されて候。安堵の御教書を頂き。ただ今本国へ罷り下り候。急ぎ候ふほどにこれははや。近江の国守山の宿に着きて候。いかに誰かある。しかるべき所に立ち越え宿を借り候え。また某が名字ばし申し候な。

狂言「心得申して候。さてもさても目出たき事かな。頼うだる御方の御訴訟も叶い。御下りは思召ままの御事にて候。さて御宿をとり申そうが、今夜は初宿ぢゃ程に。ずいぶん好い宿がとりたいものぢゃが。どこ許がよかろうぞ。やあやあ甲屋が大きな宿ぢゃと言うか。さらば甲屋に致そう。これは大きな宿かな。いかにこの内に案内申し候。

シテ「誰にてわたり候ぞ。

狂言「頼うだる御方を御伴申して候。御宿を申され候らえ。

シテ「安きことお宿参らしょうずるにて候。またあれにござ候おん方のご名字をば誰と申し候ぞ。

狂言「おおあれこそ、信濃の国の住人。望月の秋長ではおりないぞ。

シテ「いや苦しからぬ事こなたへおん入り候え。

狂言「心得申し候。

狂言「いかに申候。お宿をとり申して候。こうこう御通り候え。

ワキ「近頃お宿祝着申して候。

シテ「こなたへおん入り候え。言語道断、ふしぎなる事の候。花若殿のおん親の敵。望月がこれへ着いて候。やがてこの由申し候べし。いかに申し候。旅人にお宿参らせて候間。こなたへおん出で候え。いかに申し候。なんぼうふしぎなる事の候。ただ今この屋の内へ望月が着いて候。

子方「いかにもして討ってたまわり候え。

シテ「ああ音高や候。かように申す内に案じ出だしたる事の候。おん身はこの辺りの盲御前におんなり候いて。花若殿におん手を引かれ座敷におん出で候え。自然謡を所望申し候わば。何にてもおん謡い候え。われらは酒を持ちて参り候べし。

ツレ「嬉しやな望みし事の叶うぞと。盲の姿に.出で立てば。

地謡「かの蝉丸の.いにしえ。かの蝉丸のいにしえ。たどりたどるも遠近の。道のほとりに迷いしも。今の身のほどの。思いはいかで.まさるべき。かかる憂き身の業なれば.盲目の身の習い歌。聞こしめ召せや旅人よ。聞こしめ召せや.旅人よ。

シテ「これはこの屋の主にて候が。酒を持ちて参りて候。

ワキ「近頃祝着申して候。さて今の謡の声は誰にてわたり候ぞ。

シテ「さん候是はこの辺りの盲御前にて候が。おん旅人のござ候えば罷り出でて謡い申し候。

ワキ「さらば一節所望候え。

シテ「畏って候。何にても面白からん事を一節おん謡い候え。

ツレ「一万箱王が親の敵を討ったるところを謡い候べし。

狂言「いやいやそれは差合がある。余の事を御謡い候らえ。

ワキ「いや苦しからぬこと。ただ謡わせ候え。

狂言「畏って候。さあらばそのた次第、何にても一節御謡い候らえ。

地謡「それ迦陵頻はかいごの内にして.声諸鳥にすぐれ。鷙という鳥は小さけれども。虎を害する.力あり。

ツレ「ここに河津の三郎が子に。一万箱王とて兄弟の者のありけるが。

地謡「五つや三つの頃かとよ。父を従弟に討たせつつ。すでに日行き時来たって。七つ五つになりしかば。

ツレ「いとけなき身の心にも。

地謡「父の敵を討たばやと。思いの色に出ずるこそ.げに哀にぞ.覚ゆる。

〔クセ〕ある時おとといは。持仏堂に参りて。兄の一万香をたき。花を仏に供ずれば。弟の箱王は。本尊をつくづくとまもりて。いかに兄御前きこしめせ。本尊の名をばわが敵。工藤と申し奉り。剣をひっさげ縄を持ち。われらを睨みて。立たせたもうが憎ければ。走りかかりておん首を.うち落さんと申せば。兄の一万これを聞き。

ツレ「いまいまし。いかなる事ぞ仏をば。

地謡「不動と申し敵をば工藤というを知らざるや。さては仏にてましますかと。抜いたる刀を鞘にさし。許させたまえ南無仏.敵を討たせたまえや。

子方「いざ討とう。

狂言「討とうとは。

シテ「暫く。何をおん騒ぎ候ぞ。

狂言「いざ討とうとおっしゃるによっての事でござる。

シテ「いざ打とうとは羯鼓を打とうとのおん事候よ。

狂言「羯鼓ならば羯鼓とおっしゃらいぞ。聊爾なる事をおっしゃるに依っての事にて候。

ワキ「また亭主は何をつかまつり候ぞ。

子方「亭主には獅子をご所望候え。

ワキ「日本一の事を申す者かな。さらば羯鼓ののち獅子を舞うておん見せ候え。

シテ「某は獅子舞うたる事はなく候えども。御意にて候ほどに拵えて参ろうずるにて候。その間に幼き者に鞨鼓をおん打たせ候え。

<中入>

(子方物着)

(狂言独白)

狂言「いかに幼き人へ申し候。亭主の身ごしらえの内。羯鼓を打って御見せ候らえや。

子方「吉野初瀬の花もみじ。

地謡「更級越路の。月雪。

<羯鼓>

子方「獅子団乱旋は時を知る。

地謡「雨むら雲や。奏すらん。

<獅子ノ舞>

地謡「あまりに秘曲の面白さに。あまりに秘曲の面白さに。なおなおめぐる盃の。酔もすすめばいとどなお。眠りも来たる。ばかりなり。

シテ「さるほどにさるほどに。

地謡「おりふしよしとぬぎ置く獅子頭。または八撥を打てや打てやと。目をひき袖をふれ。立ち舞う気色に戯れ寄りて。敵を手ごめにしたりけり。

ワキ「こは何者ぞいかなる者ぞ。

子方「おん身の討ちし安田の荘司友治が。その子に花若われぞかし。

ワキ「さてまた亭主と見えしは誰なれば。かほどに我をばたばかりけるぞ。

シテ「小沢の刑部友房よ。

ワキ「あらものものしとひったてゆけば。

シテ「ひきゆする。

ワキ「振れども切れども。

シテ「放さばこそ。

地謡「この年月の怨みのすえ。今こそかえせ望月よとて.思う敵を討ったりけり。思う本望とげぬれば。やがて故郷に立ち帰り。かの本領を友治の。子孫に伝え今の世に。その名隠れぬおん事も。弓矢のいわれなるらん。弓矢のいわれ.なるらん。

 

 

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