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恋の重荷(こいのおもに)

【分類】四、五番目物(怨霊物)

【作者】世阿弥

【登場人物】 

登 場 人 物 装  束

前シテ

山科荘司

三光尉

襟(浅葱)、熨斗目(小格子ニモ)、水衣、腰帯、墨絵中啓

後シテ

山科荘司の亡霊

悪尉

襟(紺)、白頭、厚板、半切、法被、腰帯(紋)、白骨中啓、鹿背杖、被衣(熨斗目)

ツレ

女御 

小面

襟(赤)、鬘、鬘帯、箔、緋大口、唐織坪折、腰帯、天冠(月ナシ)、中啓

ワキ

白河院の臣下

厚板、単狩衣、大口、腰帯、風折烏帽子、中啓

間狂言

従者

段熨斗目、長持、腰帯、小刀、扇

 

【あらすじ】

菊を愛好する白河院の庭で、菊の下葉を取る山科の荘司という老人が、たまたま白河の女御の御姿を目にし、恋心を抱きます。荘司の思いを知った女御は、臣下を通じて荘司に「恋の重荷」というものを持って、御庭を百度、千度も廻るならば、今一度、姿を見せようと伝えます。もとよりこの荷は、老人の恋を醒ますために重い岩を、美しい綾羅錦紗で包んだものでしたので、荘司は何度も挑んだものの持つことができず、ついに絶望して女御の仕打ちを恨んで死んでしまいます。

 <中入>

臣下から荘司の死を知らされた女御は、庭に出てその死を悼みます。そこへ荘司の怨霊が現れ、女御の仕打ちを責め立てます。しかし、やがて荘司の恨みも解け、葉守の神となろうと消えていきました。

 

【詞章】

ワキ「そもそもこれは白河の院に仕え奉る臣下なり。さてもわが君よろずの事をおん好き候中にも。とりわき菊をご寵愛にて候あいだ。さながらおん庭は菊にてごさ候。またここに山科の荘司と申して。菊の下葉をとる老人の候が。忝なくも女御のおん姿を見まいらせてより。しず心なき恋となりて候。このこと聞しめし及ばれ。恋は上下を分かぬ習い。かなわぬ故に恋と言えり。かようの者の持つ荷の候をかの者にもたせよと仰せられ候。これは重き巌にて候を綾羅錦紗をもって包み。恋の重荷と名づけて候。この荷をもちおん庭を百たび千たびゆき帰るならば。女御のおん姿をいま一度拝まれ給わんとのおん事にて候あいだ。このよしを山科の荘司をめして申しつけばやと存じ候。いかに山科の荘司のあるか。

シテ「これに候なにのおんためにて候ぞ。

ワキ「なにとてこのほどは参りて菊の下葉をばとらぬぞ。

シテ「さん候この間以ての外に所労仕り候ほどに。さて参らず候。

ワキ「げに汝は恋をするといいはまことか。

シテ「そもこの恋の事をば誰がおん耳に入れて候ぞ。

ワキ「いやいや早や色にいでてあるぞとよ。さるあいだ汝が恋のことを聞こしめし及ばれ。不便に思しめされ。恋の重荷とれ恋する者の持つ荷の候あいだ。参りてこの荷を持ち。おん庭を百たび千たび廻るならば。忝くもおん姿を。いま一度拝まれんとのおんことなり。

シテ「なにとこの事をきこしめし及ばれ。その荷を持ちておん庭を。百たび千たびとは。百度も千度も持ちてめぐらば。そのあいだにおん姿を拝まれさせ給うべきと候や。

ワキ「げによく心得てあるぞ。なんぼう忝きおん事にてはなきか。

シテ「さらばその荷を見とう候。

ワキ「こなたへ来たり候へ。これこそ恋の重荷よ。なんぼう美しき荷にてあるぞ。

シテ「げにげにこれは軽げなる荷にて候。たとえ叶わぬ業なりとも。おせならばさこそあるべけれ。ましてやこれはいやしき身に。さのみは隔てじ.名を聞くも。

地謡「おも荷なりとも逢うまでの。重荷なりとも逢うまでの。恋の持夫にならうよ。

シテ「たれ踏みそめて恋の道。

地謡「ちまたに人の。まようらん。

シテ「名もことわりや恋の重荷。

地謡「げに持ちかぬる。この荷かな。

シテ「それ及びがたきは高き山。思いの深きはわだつみのごとし。

地謡「いずれもってたやすからんや。げに心さえ軽き身の。塵のうき世にながらえてよしなやもの.思うかな。思いやすこし.なぐさむと。思いや少し.なぐさむと。露のかごとを夕顔の。たそかれ時も早や過ぎぬ。恋の重荷は持つやらん。

シテ「おもくとも思いは捨てじ唐國の。虎と思えば石にだに。立つ矢のあるぞかし。いかにも軽く持とうよ。

地謡「持つや荷前の運ぶなる。心ぞ君がためを知る。重くとも心添そえて。持てや持てや下人。

シテ「よしとても。よしとても。この身はかろしいたずらに。恋のやつこになりはてて。なき世なりと憂からじ。

地謡「なき世になすもよしなやな。げには命ぞ唯頼め。

シテ「しめじが腹立ちや。

地謡「よしなき恋をすがむしろ菅筵。伏して見れども寝らればこそ。苦しやひとり寝の。わが手枕の肩かえて。持てども持たれぬ.そも恋は何の重荷ぞ。

シテ「あわれちょう言だになくは何をさて。恋のみだれの。

地謡「つかね緒も絶え果てぬ。よしや恋死なん。報わばそれぞ人心。みだれ恋になして。思いしらせ申さん。

<中入>

狂言「いかに申し候。山科の荘司重荷を持ちかねいろいろ恨みごとを申し。ついにむなしくなり申し候。

ワキ「何と荘司がむなしくなりたると申すか。

狂言「なかなかむなしくなり申し候。

ワキ「言語道断。近頃不便なる事にて候ぞや。そうじてこの恋の重荷のことは。かの者の恋の心をとどめんとのご方便にて候。その故は。そうじて恋という事は。高き賎しきによらぬ事にて候あいだ。重荷を作つて。上を綾羅錦繍をもって美しく包みて持たせ候。かほどまで軽げなる荷なれども。この恋の叶のうまじき故に持たれぬぞと心得て。恋の心や止どまらんとのおんことにて候ところに。賎しき者の悲しさは。持たれぬことを嘆きて。かように身を失い候こと返すげすも不便にこそ候え。この由を申しあぎょうずるにて候。いかに申し候。かの山科の荘司重荷を持ちかねておん庭にてむなしくなりて候。かようの賎しき者の一念は恐しく候。なにか苦しう候べき。そとおん出であつて。かの者の姿を一目ご覧ぜられ候え。ツレ「恋よ恋。わが中空になすな恋。恋には人の。死なぬものかは。むざんの者の。心やな。ワキ「これはあまりに忝なきご諚にて候。はやはや立たせおわしませ。

ツレ「いや立たんとすれば磐石に押されて。さらに立つべき.ようもなし。

地謡「むくいは常の。世の習い。

後シテ「吉野川岩きりとおしゆく水の。音には立てじ恋死にし。一念無量の鬼となるも。ただよしなやな.誠なき。言よせ妻のそら頼め。

地謡「げにもよしなき。心かな。

<立廻り>

シテ「うきねのみ。三世の契りの満ちてこそ。石の上にも坐すというに。われはよしなや逢いがたき。厳の重荷.持たるるものか。あら恨めしや。葛の葉の。

ツレ「玉だすき。畝傍の山の山守も。

地謡「さのみ重荷は。持たればこそ。

シテ「重荷というも。思いなり。

地謡「浅間の煙り。あさましの身や衆合地獄の重き苦しみ。さて懲りたまえやこりたまえ。地謡「思いの煙り.たち別れ。思いの煙りたち別れ。稲葉の山風吹き乱れ。恋路のやみに迷うとも。跡とわばその恨みは。霜か雪か霰か。ついには跡も消えぬべしや。これまでぞ姫小松の。葉守りの神となりて。千代の陰を守らん。千代の陰をまもらん。

 

 

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