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兼平(かねひら)
【分類】二番目物 (修羅物)
【作者】世阿弥
【主人公】前シテ:老翁、後シテ:今井兼平
【あらすじ】(仕舞の部分は下線部です。)
粟津で討死した木曾義仲を弔おうと思い立ち、木曾の僧が春の近江路を粟津へと向かっていました。やがて矢橋の浦につくと、一人の老人が柴舟で行き過ぎようとしますので、僧は老人に舟に乗せてくれるよう頼みます。老人は渡し船ではないからと言っていったんは断わりますが、僧が重ねて頼むと、仏の教えは川を渡るのに渡し船を得るようなものという例えを思い出し、僧を柴舟に乗せます。粟津に向かう船上で、老人はあたりの名所を教えます。延暦寺の来歴などの話しを聞くうちに、舟は粟津の浦につきます。日も暮れ、僧は露深い粟津の草原で義仲の霊を弔いつつ野宿します。突然、鬨の声が響き渡り、甲冑に身を包んだ武将が出現します。僧が誰かと尋ねると、亡き主を弔いにはるばる来たというので兼平が迎えたのだと答えます。今井四郎兼平といえば義仲の配下で、義仲と共に粟津で果てた武将です。これは夢かと訝しがる僧に、武将は昨日の老人も自分であったと明かし、昨日の舟を極楽への渡し舟として自分を彼岸へと送ってほしいと頼みます。兼平は義仲と自分の最後の戦いの様子を語ります。一時は都を押さえた義仲でしたが、頼朝の軍にせめられてついにはたった七騎となって逃れますがが、ついに義仲、兼平のニ騎となってしまいます。義仲が自害するまで、自分が敵を防ごうと兼平は申し出ますが、義仲は別れようとしません。人手にかかるのは末代まで恥辱との兼平の言葉に、ついに義仲も粟津の彼方の松原をめざしますが、薄氷のはった深田に、騎馬が足を取られて動けなくなってしまいます。今はこれまでと自害しようとして、最後に兼平の方を振り返ったその時に、矢が兜に突き刺さり義仲は落命しました。義仲が打ち取られたという声を聞いて、兼平は名乗りをあげて討ち手の大軍の中にわけいり、最後の戦働きをしたのち、刀をくわえて馬から飛び降りて自害して果てたのでした。
【詞章】(仕舞の部分の抜粋です。)
兼平はかくぞとも。知らで戦うそのひまにも。御最期の御事を。心にかくる.ばかりなり。さてその後に思わずも。敵の方に声立てて。木曽殿討たれ給いぬと。呼ばわる声を聞きしより。今は何をか期すべきと。思い定めて兼平は。これぞ最期の高言と。あぶみふんばり大音上げ。木曽殿の御内に今井の四郎。兼平と名乗りかけて。大勢に割って入れば。もとより一騎当千の秘術を現し大勢を。粟津の。汀に追っつめて磯打つ波の.まくり切り。蜘手十文字に。打ち破りかけ通って。その後自害の手本よとて。太刀をくわえつつ逆さまに落ちて。貫かれ失せにけり。兼平が最期の仕儀。目を驚かす有様かな.目を驚かす有様。