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花筐(はながたみ)

【分類】三番目物(狂女物)

【作者】世阿弥

【登場人物】 

登 場 人 物 装  束

シテ(前)

照日の前 鬘、鬘帯、箔、唐織〔着流し〕、扇

シテ(後)

狂女 鬘、鬘帯、箔、唐織〔脱ぎ掛け〕、扇

ツレ

侍女 小面 襟〔赤〕、鬘、鬘帯、箔、唐織〔脱ぎ掛け〕、扇、花筐
子方 天皇 初冠、厚板、白大口、単狩衣、腰帯、扇
ワキ 供奉官人 厚板、法被、白大口、腰帯、太刀、扇
ワキヅレ 御使 素袍男、文、花筐
ワキヅレ 同一人 素袍男
ワキヅレ こしかき二人 没着胴(大口)

【あらすじ】(仕舞〔クセ〕の部分は下線部、仕舞〔クルイ〕の部分は斜体です。)

越前国(福井県)味真野にいた大迹部皇子は、皇位を継承することになり、急遽、都に上ります。皇子は寵愛していた照日ノ前のもとに使者を送り、別れの文と花筐を届けます。その文を読んだ照日ノ前は形見の花筐を抱いて悲しく我が家へ戻って行きます。

<中入>

その後、皇子は継体天皇となられ、大和国(奈良県)玉穂に都を移して、政を行っていましたが、ある日、紅葉狩に出かけられます。一方、照日ノ前は恋慕のあまり心が乱れ、侍女を伴ってはるばる都へとやって来ます。そして、たまたま御幸の行列に行き会いますが、朝臣に見苦しい狂女として払いのけられ、そのはずみで花筐を打ち落とされます。照日ノ前は、それは帝の花筐であるといって咎めます。朝臣にその理由を尋ねられ、皇子とのかなわぬ恋の悲しみを嘆き、李夫人の故事を物語り、自分の思慕の情を訴えます。天皇がその花筐を取り寄せてご覧になると、確かに見覚えのある品なので、照日ノ前に狂気を収め、もとどおり側に仕えよとの御言葉に、喜んで一緒に皇居へと向かいます。

 

【詞章】(仕舞〔クセ〕の部分は下線部、仕舞〔クルイ〕の部分は斜体です。

ワキヅレ「かように候者は。越前の国味真野と申す所にござ候。大跡部の皇子に仕え申す者にて候。さてもきのうの暮れほどに都よりおん使あって.武烈天皇のみ代を。味真野の皇子におん譲りあるべしとの。おん迎の人人まかり下り。今朝とくご上洛にてござ候。さる間このほどご寵愛あって召し使われし。照日の前と申すおん方。このほどおん暇にて里にござ候ところに。俄かにご上洛のことにて候ほどに.かのおん方へおん玉章と朝ごとにおん手になれさせたまいし。おん花筐とを某に持ちて参れとのおんことにて候あいだ。ただ今照日の前のおん里へと急ぎ候。あら嬉しやこれへおん出で候。これにて申し候べし。いかに申し候。
シテ「なにごとにて候ぞ。
ワキヅレ「わが君は都よりおん迎え下り.おん位に即かせたもうべきとのおんことにて。ご上洛遊ばされて候。またこれなるおん文とおん花筐とを。確かに参らせよとのおん事にて候。これこれご覧候え。
シテ「さてはわが君おん位に即かせたまい。都へのおん上返すがえすもおんめでたうこそ候えさりながら。この年月のおん名残。いつの世にかは忘るべき。あらおん名残惜しや候。されどもおぼしめし忘れずして。おん玉章を残し置かせたもうことの有難さよ。まずまず見参らせ候わん。われ應神天皇の尊苗を継ぎながら。帝位を踏む身にあらざれども。天照大神の神孫なれば。毎日に伊勢を拝し奉りし。その神感のいたりにや。群臣の選みに出だされて。誘わ行く雲の上。巡り逢うべき月影を。秋の頼みに残すなり。頼めただ.袖触れなれし月影の.しばし雲居に隔てありともと。
地謡「書き置きたもう水茎の.跡に残るぞ.悲しき。君と住む程だにありし.山里に。程だにありし山里に。ひとり残りて有明の。つれなき春も杉間吹く.松の嵐も.いつしかに。花の跡とて懐かしき.おん花筐玉章を.抱きて里に帰りけり.抱きて里に.帰りけり。
<中入>
ワキ・立衆「君の恵みも天照らす。君の恵みも.天照らす.紅葉の御幸早めん。
ワキ「忝なくもこの君は。應神天皇五代のみ末。大跡辺の皇子と申ししが。当年ご即位おさまりて。継体の君と申すなり。
立衆「されば治まるみ代のみ影。日の本の名も合いに合う。
ワキ「大和の国や玉穂の都に。
立衆「いま宮作り。
ワキ「あらたまる。
ワキ・立衆「万代の恵みも久し.とみ草の。
立衆「恵みも久しとみ草の。
ワキ・立衆「種も栄行く秋の空。露も時雨も時めきて四方に色添う.初もみじ。松も千年の緑にて。常磐の秋に巡り逢う.御幸の車早めんや.御幸の車早めんや。
シテ「いかにあれなる旅人。都への道教えて賜べ。なに物狂いとや。
物狂いも思う心のあればこそ問え。など情けなく教えたまわぬこそや。
ツレ「よしのう人は教えずとも。都への道しるべこそ候え。あれご覧候え雁がねの渡り候。
シテ「なに雁がねの渡るとや。げによく思い出だしたり。秋にはいつも雁がねの。南へ渡る天つ雁。
ツレ「そら言あらじ君が住む。都とやらんもそなたなれば。
シテ「声を知るべの頼りの友と。
ツレ「われも頼むの雁がねこそ。連れて越路の知るべなれ。
シテ「その上名に負う蘇武が旅雁。
シテ、ツレ「玉章を。付けし南の都路に。
地謡「われをもともに。連れてゆけ。
<カケリ>
シテ「宿雁がねの旅衣。
地謡「飛びたつばかりの。こころかな。
シテ「君が住む越の白山知らねども。
シテ、ツレ「行きてや見ましあしびきの。大和はいずく白雲の。高間の峰のよそにのみ。見てや止みなん及びなき。雲居はいずく御影山。日の本なれや大和なる。玉穂の都に.急ぐなり。
地謡「ここは近江の海なれや。みずから由なくも。及ばぬ恋に浮き舟の。焦がれ行く旅を忍ぶの.摺り衣。旅を忍ぶの摺り衣。涙も色か黒髪の。飽かざりし別れ路の.跡に心の浮かれ来て。鹿の起き臥し堪えかねて。なお通い行く秋草の。野くれ山くれ露分けて。玉穂の宮に着きにけり.玉穂の宮に,着きにけり。
ワキ「時しも頃は長月や。まだき時雨の色うすき。もみじの御幸の道のほとりに。非形をいましめ面めんに御幸のみ先を清めけり。
シテ「さなぎだに都に慣れぬ鄙人の。女といい狂人といい。さこそ心は楢の葉の。風も乱るる露霜の。御幸のみ先に進みけり。
ワキ「不思議やなその様人に変わりたる。狂女と見えて見苦しやと。官人立ち寄り払いけり。そこ立ち退き候え。
ツレ「のう悲しや君のおん花筐を打ち落とされて候。
シテ「なにと君のおん花筺を打ち落とされたるとや。あらいまいましや候。
ワキ「いかに狂女。持ちたる花篭を。君のおん花筺とて渇仰するは。そも君とはたがことを申すぞ。
シテ「こと新しき仰せかな。この君ならで日の本に。また異君のましますべきか。
ツレ「われらは女の狂人なれば。知らじとおぼし召さるるか。忝なくもこの君は。應神天皇五代のみ末。過ぎし頃まで北国の。味真野と申す山里に。
シテ「大跡部の皇子と申ししが。
ツレ「今はこの国玉穂の都に。
シテ「継体の君と申すとかや。
ツレ「さればかほどにめでたき君の。
シテ「おん花筺な恐れもなくて。
ツレ「打ち落としたもう人びとこそ。
シテ「われらよりもなお.物狂いよ。
(クルイ)
地謡「恐ろしや。恐ろしや。世は末世に及ぶといえど。日月は地に落ちず。まだ散りもせぬ花筺を。荒けなやあらかねの。土に落としたまわば。天の咎めもたちまちに。罰あたりたまいて。わがごとくなる狂気して。ともの物狂いと。いわれさせたもうな.人にいわれさせ.たもうな。かように申せば。かように申せば。ただ現なき花筺の。託言とやおぼすらん。この君いまだその頃は。皇子のおん身なれば。朝ごとのおん勤めに.花を手向け礼拝し。南無や天照皇太神宮。天長地久と。唱えさせたまいつつ。み手を合わさせたまいし。おん面影は身に添いて。忘れ形見までも.お懐かしや恋しや。
シテ「陸奥の安積の沼の花がつみ。
地謡「かつ見し人を恋草の。忍捩摺りたれ故に.乱れ心は君がため。ここに来てだに隔てある.月の都は名のみして。袖にも移されず。また手にも取られず。ただ徒らに水の月を。望む猿のごとくにて。叫び伏して泣きいたり.叫び伏して.泣きいたり。

ワキ「いかに狂女。宣旨にてあるぞ。いかにも面白う狂うて舞い遊び候え。叡覧あるべきとのおん事にてあるぞ。急いで狂ひ候へ。
シテ「嬉しやさては及びなき。み影を拝みや申すべき。
シテ、ツレ「いざや狂わんもろともに。御幸に狂う。囃こそ。
地謡「み先を払う。たもとかな。
<イロエ

(クセ)
シテ「忝なきおん譬えなれどもいかなれば漢王は。
地謡「李夫人おん別れを歎きたまい。朝政かみさびて。夜の大殿も徒らにただ思いの涙御衣の袂を濡らす。
シテ「また李夫人は好色の。
地謡「花のよそおい衰えて。萎るる露の床の上。塵の鏡の影を恥じて。ついに帝に.見えたまわずして.去たもう。帝ふかく。歎かせたまいつつ。そのおん形を。甘泉殿の壁に写し。われも画図に立ち添いて.明け暮れ歎きたまいしに。されどもなかなか。おん思いは増されども。もの言い交わす事なきを。深く歎きたまえば。李少と申す太子の。幼なくましますが.父帝に奏したもうよう。
シテ「李夫人は元はこれ。
地謡「上界の嬖妾。歌吹国の仙女なり。一旦人間に。生まるるとは申せどもついに元の.仙宮に帰りぬ。泰山府君に申さく。李夫人の面影を。しばらくここに招くべしとて。九華帳の内にして。反魂香を.焚きたもう。夜更け人静まり.風すさまじく。月秋なるに.それかと思う面影の。あるかなきかにかげろえば。なおいや増しの思い草。葉末に結ぶ白露の。手にも溜らで程もなく.ただ徒らに消えぬれば。漂渺悠揚としてはまた尋ぬべき方なし。
シテ「悲っさのあまりに。
地謡「李夫人の住み慣れし。甘泉殿を立ち去らず。空しき床をうち払い。古き衾古き枕.ひとり袂を.片敷き。

ワキ「いかに狂女。宣旨にてあるぞ花筐を参らせ上げ候え。
シテ「あまりのことに胸ふさがり。心空なる花筐を。恥ずかしながら参らすれば。
ワキ「帝はこれを叡覧あって。疑いもなき田舎にて。おん手に慣れしおん花筐。
同じく留め置きたまいし。おん玉章の恨みを忘れ。狂気をやめよ元のごとく。召し使わんとの宣旨なり。
シテ「げに有難きおん恵み。直なるみ代に返るしるしも。思えば保ちし筐の徳。
ワキ「かれこれともに時に逢う。
シテ「花の筐の名をとめて。
ワキ「恋しき人の手慣れし物を。
シテ「形見と名附け初めしこと。
ワキ「この時よりぞ。
シテ「始まりける。
地謡「有難やかくばかり。情の末をしら露の。惠みにもれぬ花筐の。おん託言ましまさぬ君のみ心ぞ有難き。御遊もすでに時過ぎて。御遊もすでに時過ぎて。今は還幸なし奉らんと。供奉の人びと。おん車やり続け。もみじ葉散り飛ぶみ先を払い。払うや袂も.山風に。誘われ行くや玉穂の宮に.誘われ行くや玉穂の都に。尽きせぬ契りぞ.ありがたき。

 

 

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