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海人(あま)

【分類】五番目物 (切能)

【作者】不詳

【登場人物】 

登 場 人 物 装  束

シテ(前)

海女

曲見

箔、水衣、腰巻、腰帯、鬘、鬘帯、扇、鎌、みるめ

シテ(後)

竜女

泥眼

箔、舞衣、色大口、腰帯、龍、龍台、黒垂、扇、経巻

子方 房前大臣 厚板、長絹、白大口、腰帯、金風折烏帽子、扇
ワキ 従者 素袍男
ワキツレ 同二人 素袍男

【あらすじ】(玉ノ段の部分は上線部です。舞囃子の部分は下線部です。仕舞の部分は斜体の部分です。)

房前大臣(藤原房前)は讃岐国(香川県)の志度の浦で亡くなったという母の追善のため、従者と供人を伴って、はるばる志度の浦までやって来ます。すると、一人の海人が現れます。従者が、海人に水底に映る月を見たいので、海松布[みるめ]を刈るように命ずると、海人は昔も、宝の珠を海底から取り上げるためにもぐったことがあると言います。それを聞いた従者は、その話をくわしく語らせます。

『昔、唐土から興福寺に三種の宝が贈られたが、そのうち面向不背の珠だけが、この浦の沖で龍宮に取られてしまった。藤原淡海公(藤原不比等)はそのことを深く惜しまれ、身をやつしてこの浦に下り、海人乙女と契りを交わし、その玉を取り返してくれるように頼みます。海人は淡海公の子をもうけました。その子が今の房前大臣。』

これを聞いた房前大臣は、それは自分のことだと名乗り、海人はさらに話を続けます。

『海人は、我が子を淡海公の後継ぎにする約束と交換に、千尋の綱を腰に結わえ、海に潜ります。そして、見事に珠を取り返すのですが、龍神の激しい抵抗に、自分の乳の下を掻き切って、そこに珠を隠します。流れ出る血潮に龍神がたじろぐうちに、息も絶え絶えになりながら海人は帰ってきたものの、息を引き取ります。』

語り終えると、自分こそ、その海人の亡霊であると明かし、海中に姿を消します。

≪中入≫

房前大臣は、浦の者からも珠取りの次第を聞き、亡き母の残した手紙を読み、十三回忌の追善供養を営みます。読経のうちに、亡霊は龍女の姿で現れ、法華経の功徳で成仏できたと喜び、舞を力強く、美しく舞います。

【詞章】(玉ノ段の部分は上線部です。舞囃子の部分は下線部です。仕舞の部分は斜体の部分です。)

子方、ワキ、立衆「いずるぞなごり三日月の。出ずるぞ名残り三日月の。都の西に.いそがん。
ワキ「天地のひらけし恵み久かたの。天の児屋根の御ゆずり。
子方「房アの大臣とはわが事なり。さてもみずからが御母は。讃州志渡の寺。房アと申す浦にして。むなしくならせ給いぬるとうけたまわりて候えば。いそぎかの浦に下りて。追善をもなさばやと思い候。
ワキ、立衆「ならわぬ旅に奈良坂や.帰り都の山かくす春の霞ぞ.うらめしき。三笠山今ぞ榮えん.この岸の。
立衆「今ぞ榮えんこの岸の。
ワキ、立衆「南の海に急がんと。ゆけば程なく津の國や。こや日の本の始めなる。淡路のわたり末近く。鳴戸の沖に音するは.泊まり定めぬあま小舟.泊まり定めぬ.あま小舟。うき旅なれどたらちねの.為と思えば.急がれて。日数つもりの.雪の空。
立衆「日数積りの雪の空。
ワキ、立衆「夜晝となくゆく程に。名にのみ聞きし讃岐の國.房アの浦につきにけり.房アの浦に.つきにけり。
ワキ「御急ぎ候程に讃岐の國房アの浦に御着きにて候。又あれを見れば。男女の差別は知らず人一人きたり候。かれを待ち何事をも尋ねばやと存じ候。
シテ「あまのかる。藻に住む虫にあらねども。われからぬらす。袂かな。これは讃州志度の浦。寺近けれども心なき。あまのの里の.海人にて候。げにや名におう伊勢おのあまは夕波の。内外の山の月を待ち。浜荻の風に秋を知る。また須磨の浦人は塩木にも。若木の櫻を折りまぜて。春を忘れぬ便りもあるに。この浦にては慰みも名のみあまのの原にして。花の咲く草もなし.何をみるめ.かろうよ。からでも運ぶ.浜川の。苅らでも運ぶ浜川の。塩海かけて流れ芦の。世をわたる業なれば。心なしとも言いがたき.あまのの里に.帰らん.あまのの里に.帰らん。
ワキ「いかにこれなるあまびと。汝はこの浦の海人にてあるか。
シテ「さん候この浦のあまにて候。
ワキ「あまならばあの水底のみるめ苅りて参らせ候え。
シテ「あら淺ましや旅づかれ飢えにのぞませ給うか。わが住む里と申せども。かほどいやしき田舎のはてに。ふしぎや雲の上人をみるめ召され.候え。これに苅りたるみるめの候。
ワキ「いやその儀にてはなし。水底の月をご覧ぜらるるに。みるめ繁りて障りとなれば。苅りのけよとのご諚なり。めされん為にてはなきぞとよ。
シテ「旅づかれ飢えにのぞませ給い。ご所望あるかとこそ思いしに。月の為苅りのけよとのご諚なりけるぞや。たとい千尋のそこのみえるめなりとも。おせならばさこそあるべけれ。むかし天智天皇の御時。もろこしより一つの名珠をわたされしを。この沖にて龍神にとられ。かずきあげしも.この浦の。
地謡「あまみつ月もみち汐の。あまみつ月もみち汐の.みるめをいざや.苅ろうよ。
ワキ「いかに海人びと。かの玉をかずきあげしもこの浦のあまと申すか。
シテ「さん候この浦のあまにて候。
ワキ「さてそのあまびとの旧蹟はいずくの程ぞ。
シテ「あれなる里をあまのの里と申すも。この浦人の名所なり。またこれなる島を新珠島と申すも。かの玉をかずきあげ初めて見そめけるによって。新珠島と申し候。
ワキ「さてその玉の名をば何と申しけるぞ。
シテ「玉中に釋迦の像まします。いず方より拜めども同じ面なるによって。面向不背の玉と申し候。
ワキ「かほどの宝を何として。漢朝よりもわたしけるぞ。
シテ「今の大臣淡海公の御妹は。もろこしの高宗皇帝の后に立ち給う。かの后の御氏寺なればとて。興福寺へ三つの宝を送らるる。花原磐泗浜石。面向不背の玉。ふたつの宝は京着し。名珠はこの沖にて龍神にとらる。大臣御身をやつし。かの玉をかずかせんが為にあま乙女と契りをこめ。一人の御子を儲け給う。今の房前の大臣とかや。
子方「やあわれこそ房前の大臣よ。あらなつかしのあま人やなおなお語り候え。
シテ「今まではよその事とこそ思いつるに。まさしき御身の上を申しけるぞや。あらかたじけなや候。
子方「みずから大臣の御子と生まれ。恵みひらくる藤の門。されども心にかかる事は。この身のこりて。母知らず。ある時功臣語りていわく。かたじけなくも御母は。讃州志度の浦房崎の。あまり申せば恐れなりとて詞をのこす。さては卑しきあまの子。賎の女の腹に.宿りけるか。
シテ「よしそれとても.はわき木に。
地謡「よしそれとても.はわき木に。しばし宿るも月の光り.雨露の恩に.あらずやと。思へば尋ね来たりたり。あらなつかしのあま人やと.御涙を流し給えば。
シテ「げに心なきあま衣。
地謡「さらでもぬらすわが袖を。かさねてしおれとや.かたじけなの.御事や。かかる貴人の.いやしきあまの胎内に。やどり給うも一世ならず。たとえば日月の。にわたずみにうつりて.光陰をます如くなり。
地謡「われらもそのあまの。子孫と答え申さんは。こともおろかやわが君の。ゆかりに似たり紫の。藤咲く門の口をとじて。いわじや水鳥の.お主の名をば.くたすまじ。
ワキ「いかにあまびと。この度はあまの海に入りて玉とりたる所を学うでおん目にかけ候え。
シテ「さきに申して候だにも憚りに候ほどに。なにとしてまなび候べき。
ワキ「いや苦しからぬ事。只学うでおん目にかけ候え。
シテ「今の御子を世つぎの位にたて給わば。かの玉をかずくべしとありしかば。仔細あらじと領掌し給う。わが子の為に捨てん命。露ほども惜しからじとて。千尋の縄を腰につけ。もしかの玉を取りえたらば。この縄を動かすべし。その時人人力を添え。引きあげ給えと約束し。一つの利剣を.ぬきも持って。
地謡「かの海底にとび入れば。空はひとつに雲の波。煙の波をしのぎつつ。海漫々とわけ入りて。直下とみれども底もなく。ほとりも知らぬ海底に。そも神変はいさ知らず.とり得ん事は不定なり。
地謡「かくて龍宮にいたりて。宮中をみればその高さ。三十丈の玉塔に。かの珠をこめおき.香華を供え守護神に。八龍なみいたり.その外悪魚鰐の口。のがれがたしやわが命。さすが恩愛の.ふる里の方ぞ恋しき。あの波のあなたにぞ。わが子はあるらん.父大臣もおわすらん。さるにてもこのままに。別れ果てなん悲しさよと。涙ぐみて立ちしが。又思い切りて.手を合わせ。なむや志渡寺の観音薩唾の.力をわはせてたび給えとて。大悲の利劍を額にあて。龍宮の中にとび入れば。左右へばっとぞのいたりける。そのひまに宝珠を盗みとって。逃げんとすれば。守護神追っかく.かねてたくみし事なれば。持ちたる劍をとりなおし。乳の下をかききり玉おしこめ.剣をすててぞふしたりける.龍宮のならいに死人をいめば。辺りに近づく悪龍なし.約束の縄を動かせば。人々喜び引きあげたりけり.玉は知らずあまびとは海上に浮かみ.いでたり。

シテ「かくて浮かみはいでたれども。悪龍の業と見えて。五体もつずかず朱になりたり。玉もいたずらになり。母もむなしくなり給うと。大臣嘆き給えば。その時息の下に。わが乳の辺りをみ給えとのたもう。あやしみ見ればげにも.劍のあたりたる跡あり。そのうちより光明かくやくとある玉を取り出だしたり。さてこそ約束の如く。御身も世つぎの位を受け。この浦の名によせて房アの大臣とは申せ。今は何をかつつむべき。これこそ御身の母.あまびとの.幽霊よ。
地謡「この筆の跡をご覧じて。不審をなさで弔むらえや。今は帰らんあだ波の。よるこそ契れ夢人の。あけてくやしき浦島が。親子の契り朝汐の。浪の底に沈みけり.立つ波の下に.入りにけり。
<中入>
ワキ「ご追善の御事はねんごろに申しつけて候。まずまず残しおかれたるご手蹟をご披見あろうずるにて候。
子方「さては亡母の手蹟かとひらきてみれば。魂黄壌に去つて一十三年。かばねを白砂に埋む日月の算を経。冥路昏々として我を弔ろう人なし。君孝行たらばわが永闇を助けよ。げにそれよりは十三年。
地謡「さては疑う所なく。いざ弔らわんこの寺の。心ざしある手向草。花の蓮の妙経。いろいろの善をなし給う。
〔出羽〕

地謡「寂寞無人声。
シテ「あら有難の御弔らいやな。この御経に引かれて。五逆の達多は天王記別を蒙り。八才の龍女は南方。無垢世界に生をうく。なおなお転読.し給うべし。
地謡「深達罪福相。偏照於十方。
シテ「微妙浄。法身具相。三十二。
地謡「以。八十種好。
シテ「用荘厳法身。
地謡「天人所載仰。龍神咸恭敬.あら有難の.御経やな。
<イロエ>

<早舞>
シテ「今この経の徳用にて。
地謡「今この経の徳用にて。天龍八部。人與非人。皆遥見皮。龍女成佛。さてこそ讃州志渡寺と号し。毎年八講。朝暮の勤行。佛法繁昌の霊地となるも。この孝養と.うけたまわる。

 

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